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木津城山公園

きづしろやまこうえん
TEL. 
URL 更新日:2012年01月31日


最終更新日:2012年01月31日
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木津城山公園の紹介

鳴門インターチェンジと鳴門市役所観光局クリーンセンターのすぐ近くにある、2009年頃完成した公園です。
小高い丘の上のメイン広場まで、両脇に桜やつつじが植えられた緩やかな石の階段が続きます。戦国時代末期まで阿波の重要な拠点と目されていた木津城の城跡西側を利用して作られました。

目立った石碑や遊具なども無く、まだあまり知られていませんが、奇麗に整備された格好のお散歩コースです。広々とした駐車場も有り。
植えられているのはまだ若い桜の木ですが、春には花見の穴場として活躍してくれること間違いなし。静かで山の空気が心地よい場所です。
画像をクリックすると拡大して表示できます
つつじ
上の広場まで続くスロープ
鳴門市役所観光局クリーンセンター
●木津城●
標高60メートル、東西270メートル、南北170メートルの山城。城の規模や構え、山下の城兵の屯営場などの詳細は不明ですが、現在も城山と呼ばれています。

【歴史】
694~710年 藤原京の宮殿跡から「津屋里」という木津辺りを指すと思われる木簡が出土
1086年 阿波国司に任ぜられた藤原基房が木津についての和歌を詠む。南浜の市杵島姫神社(弁天さん)に石碑有。
1356年 室町時代、篠原孝村により木津城が築城されたとされる。
1582年 長宗我部元親が四国統一
1585年 四国平定を目指す秀吉軍が木津城に攻め入り、五百余が籠城するも8日間の戦いの末陥落。以後木津城は廃城となる。

【エピソード】
1558~1572年、木津城城主であった篠原自遁と、三好軍の実権を握ることとなる三好長冶の母・大型殿は、阿波の国中に知られる不倫関係だったいう記録が『三好記』という書物に残されています。夫を亡くした大型殿が住まう三好氏の本拠地・勝瑞城に、足繁く通う自遁でしたが、城代家老・篠原右京進長房の言「名こそ惜しめ」に反省。以後は木津城にこもるようになります。
息子・長冶が二十歳になった1573年、大型殿は「長房が信長と通じて讃岐を我が物にせんとしている」と長冶吹き込み、長房を含めた一族郎党1300人を討ち死にさせました。
この戦をきっかけに、勢いを失いかけていた三好軍の足並みはさらに乱れます。
1576年反三好の家臣が大型殿を虐殺。反撃に出た三好長冶も追い込まれ、1577年に自刃します。1582年には三好氏の主な武将も戦死し、木津城城主の篠原自遁も淡路へ退くこととなりました。
1586年、三好軍は秀吉より名ぜられ、仇敵・長宗我部の軍勢のとともに九州遠征に向かいましたが、島津勢との合戦により絶滅。天下統一の目前まで迫った三好氏の最後となりました。

基本情報

名称 木津城山公園
(きづしろやまこうえん)
住所 鳴門市撫養町木津 [地図]
電話番号
FAX
営業時間
定休日
駐車場

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