ええとこ(スポット)

鳴門の渡船(無料)と撫養街道散策

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四国の鳴門といえば渦潮、わかめ、鳴門金時が思い浮かびます。昭和46年頃までは塩田の街として栄えました。岡崎港は、四国の玄関口であり、塩を北海道まで運んだと伝えられています。また撫養街道は池田まで続き、四国八十八箇所の出発点です。
そんな街を鳴門観光ボランティアの野口さんの案内で探検しました。


潮明寺 ちょうめいじ

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さて新四国曼荼羅霊場*1第4番札所、潮明寺は、阿波水軍の土佐泊城主、森志麿守の菩提寺*2であります。
昔は檀家(ダンカ)制度といって、必ず特定の寺院と永続的な葬祭関係を結ばならなくてはいけない決まりがありました。家族制度の在り方が変化し、その制度が薄れるなか、今でも家と寺の関係は密接に保たれているようです。

*1徳島県・香川県・愛媛県・高知県にある88ヶ所の神仏合体の霊場のこと。
*2一家代々信仰して葬儀、追善供養などをいとなむ寺のこと。菩提所、旦那寺ともいいます。

境内を入ると、紫陽花が華やかに出迎えてくれました。時期は過ぎていましたが、有名みたいです。その隣に、土佐日記で有名な紀貫之の歌碑がありました。左は、昭和44年頃に建てられ、右は、1802年頃に建てられたそうです。
歌碑は青石で縦約2.2m、横約2m、厚さ約0.4m。1867(慶応3)年、潮明寺近くの松瀬山山頂(80m)に建てられ、その後、境内に移されました。1963(昭和38)年に市指定史跡となりました。

「年ころを住みし所の名にしおへはきよる波をもあわれとぞ見る」

935(承平5)年、紀貫之が土佐から京都に船で帰る途中、土佐泊に寄港。土佐と似た地名に感動し、土佐国司として在任した4年間を懐かしく思う気持ちを歌にしたといいます。
土佐泊は古くから京都と土佐を結ぶ海上交通の要で、行き来する船が立ち寄っていたことから名付けられました。また、紀貫之が宿泊して付けられたという説もあります。

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そして銀杏の木。よくよく見ると、中央に仏像が彫られています。
先代住職の友人が、55年前に銀杏の表皮を削って、弘法大師様を彫刻されたそうです。当時は、木も細かったのですが、時が経つにつれ、木が成長し、段々と大師様がおかくれになってきています。30年後には完全にお姿が見えなくなるようですが、ご住職は、何も措置をせず、静かに見守るようです。法事などで檀家に説明され、語りつぎ、愛おしく信仰されています。私達も完全にお姿が見えなくなる時、忘れずに見守りたいと思います。

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小宰相の局の史跡 こさいしょうのつぼねのしせき

~いざ小宰相の局の石塔へ~

潮明寺から徒歩で約10分ほど歩いたところ…
「小宰相の局の墓」という道しるべが見えてきました。
ガイドさんのお話では、墓ではなく石塔だそうです。
その違いとは、果たして如何なる物か?
手すりにつかまりながら、石でできた急な階段を少し息を切らしながらのぼると、海が見えてきました。さわやかな潮風が顔の汗を拭ってくれます。小さな船が停泊していてロマンと雄大さのハーモニーを奏でる景色が広がります。
階段をのぼりきり、期待と憧れで胸をワクワクさせながら小宰相の局の石塔にたどり着きました。

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~子宝に恵まれるパワースポット~

ガイドさんからいろいろと、私たちが疑問に思っていたことも含め、面白い話を聞くことができました。

この小宰相の局の史跡は1846年に地元の7人の女性が小宰相の局を弔うために建てたもので、それまで地元では言い伝えでしかなく、小宰相の局の供養を行うものは無かったらしいです。それまで小宰相の局の供養を行うものが建てられなかったのに、小宰相の局が身投げをして、約700年後に建てたということは、当時の地元の7人の女性の心には相当、小宰相の局の話が心に響いたのではないでしょうか。

孤独と孤高を体現するような凛とした佇まいは、まさに圧巻です。
小宰相の局の石塔は、他の何物も寄せ付けぬ様な佇まいで、その周りに余計な物は有りません。

そして、ルネッサンス リゾート ナルトのホームページでは、大麻比古神社と同じようにパワースポットと紹介されていますが、ガイドさんがおっしゃるには、県外の人は訪れず、あまり人も来ず、明確なパワースポットとしての認識は薄いようです。確かに、数多くの人が来ている雰囲気があるとは言い難かったですが、私たちが行った時にはまだ新しそうなジュースが祀られていたので、地元の人達の間では深い思いがあるように感じられました。また、パワースポットとして訪れた際の御利益は、子宝に恵まれるとのことです。

ちなみに、神戸市にも同じく、小宰相の局を弔っているものがあるのですが、どうやら鳴門市にあるのは石塔で、神戸市にあるのがお墓だということです。

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~小宰相の局の物語に思いをはせて~

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私は小宰相の局の物語を初めて見聞きし、知り得ました。
想えば遠き悠久の彼方の出来事とは言えども、今日の私たちが何時の間にか忘れてきた人間としての根源に係わる大切な感情を、ふと思い出させてくれる素晴らしい逸話です。
昨今は現代社会もIT化が進み,合理性と効率性を重視しがちな世の中へと向かいつつ或るようです。

しかし人間とは、元々不合理で有るが故の存在で在ります。
誤解を恐れずに言えば人がコンピューターよりも優れている所と言えば、愛情に溢れ、信念を持ち、己の考えで行動でき、信義の為には損得を捨てられる等が有ると私は思います。
一命を賭しても構わない程の純愛を貫くのも、人間成ればこそで在ります。
賛否両論は有ると思いますが、忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫にまみえずの信義を守り抜いた小宰相の局の魂に、日本人ならではの気高さを感じるのは私だけでしょうか。

されど私も未熟者故に、まだまだ達観するには至りません。叶う事なら現代から未来に、小宰相の局の物語の理を、日本人の魂の中に受け継いで行って欲しいと願います。
そんな想いを胸に抱きながら小高い丘の上にある石塔に向かいました。
急な坂道を登り石塔の前に立ちガイドさんの話を聞くと、この石塔は地元の7人の女性達が、この物語は後世に伝えねばならないとの強い想いで協力し合って建設したとの話でした。
奇遇な事に私と同じ想いを、地元鳴門の女性7人の方々が現実の形として残してくれたのです。
古き日本人の高貴な魂ここに有りと、私は心の中で叫びました。
決して大きくて立派な観光名所とは言えませんが、そもそも遊びに来る所では無いようです。
子宝に恵まれない女性達が、子宝祈願の為に訪れる事が多いそうです。
一般の人々に知ってもらう機会としては、鳴門観光コースの中に組み込まれていると聞きました。

石塔に向かうと、私の心根も何時の間にか、幼き日の母に抱かれし、あの懐かしき満ち足りた日々に帰りました。
澱みの無い心を保ちながら生きて行けるのは、現代社会に在っても尚1つの幸福ではないでしょうか。

土佐泊渡船~岡崎海岸 とさどまりとせん~おかざきかいがん

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小宰相の局の石塔を見学した後、鳴門に3カ所ある渡船のうちの一つ「岡崎渡船」にやってきました。
岡崎渡船は土佐泊~岡崎間を結ぶ航路で、小鳴門橋が掛かる以前は毎日のたくさんの人が乗船していたそうです。

現在でも生活の脚としての需要があるようで、私たちが訪ねたのは平日の昼間だったのですが、自転車で乗船した地元の方もいらっしゃいました。
約3分間であっというまの船旅ですが、海の風が気持ちよく、歩き疲れたところにちょうど良いので観光にはすごくオススメだと思います!!しかも無料です!!
(当日は少し天気が悪かったのですが、海を渡る時に小鳴門橋と高速道路の2重橋が見えて、シャッターポイントだと思います!)

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 また、「土佐泊」という地名は京都~土佐への経由地だったことが由来(土佐日記の紀貫之も、土佐から京へ帰る時に停泊しています)であることからも分かるように、
このあたりは1000年以上前の昔から現代にいたるまで、四国の海上交通の要地だったようです。

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渡船で渡った岡崎側では、その歴史を感じる建造物に出会う事ができます。

まず、岡崎渡船の乗り場からすぐ海沿いを歩くと防波堤の傍に、昔の客船乗り場があります。
看板には三宮や明石から新幹線に乗り換えなどの表示があり、大鳴門峡が出来る前は関西への玄関口だった雰囲気を感じます。ガイドさんのお話では、渡船乗り場を含め多くの人で賑わっていたそうです。

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それからもう少し歩くと、旅館「水の」さんがあり、ここはガイドさんによると、終戦直後に昭和天皇が宿泊されたそうです。(創業が慶應3年!!)
その旧館は今は営業されていないようですが、風見鶏が立っている雰囲気のある洋館で、一見の価値ありだと思います!!

そこから少し先へ歩いて、目的地の岡崎海岸へ到着です。岡崎海岸からは鳴門海峡大橋も見ることができました。

撫養街道~文明橋 むやかいどう~ぶんめいばし

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岡崎海岸を後にして、文明橋を目指します。
海岸から撫養街道を通っていきます。海上交通が栄えていた頃は、本州から来る遍路客がすべてここを通って霊山寺を目指していたため、大変栄えた地域だったようで、街道にはその名残が沢山あり、歴史を感じる旅館や商店などの建物を見ることができます。

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旅館など一部はいまでも営業しており、ガイドさんの話によると現在はお手頃な宿として海外の旅行者に人気になっているとのことで、歴史を経た宿が今は海外客で賑わっているというのも不思議な感じがしますね!
また、当日はあいにくの天気で登れなかったのですが、街道の途中に妙見山という小さな山があり、鳴門の桜の名所だそうです。(写真で少し見えている天守閣は、徳島県出身の人類学者である鳥居龍蔵記念博物館の跡地です。※現在博物館は移転しているそうです)
さて、岡崎海岸を出発してゆっくり歩いて40分(けっこういい運動ですね:-)文明橋に到着です。

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文明橋の架かっている撫養川は、明治の頃、徳島(新町)と鳴門を結ぶ交通・輸送の役割を担った撫養航路として知られ、当時は文明橋~新町間を定期船が運航していたそうです。
文明橋は撫養川に架かる橋の中で最古の橋で、初代は明治4年、現在の橋は昭和13年に架け替えられたものです。
(写真を見てもわかるようにかなり歴史を感じる造りになっています)
現在でも交通量は結構多く、生活橋としてまだまだ現役の様子でした。
また、今回は橋の上から見ただけですが、川沿いはキレイに整備された公園になっているようなので、お散歩コースとして最適かもしれませんね!
文明橋を越えてしばらく歩くとスタート地点の鳴門駅に到着です。
鳴門の歴史を感じる、大変貴重なコースだったと思います。ガイドの野口さんのお話も大変わかり易く、とても良かったです。ありがとうございました!

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